北欧人の祖先、ヴァイキングという民族

8世紀、北欧のスカンジナビアに定住していた民族は、ヨーロッパ諸国からノースメン(北の人)と呼ばれ、独自の文化と共に生活していました。彼らこそ、今日ではヴァイキングと呼ばれている民族です。8世紀から11世紀までを、北欧史ではヴァイキング時代といいます。
ヴァイキングの多くは農民であり、故郷では畑を耕し牧畜を営み、狩りや漁をして暮らしていました。手工芸に長けていて、鍛冶、木工、彫金などで優れた腕前を発揮しました。





造船技術と開拓心が発見した新大陸

ヴァイキングの船は浅瀬でも移動でき、方向転換せずに前進後退が行える、当時最高峰の機動力を持っていたと言われています。彼らはよく商人としてヨーロッパ諸国に赴き交易を行いました。彼らはまた新天地を求めて旅をする開拓者でもありました。アイスランドとグリーンランド、そしてアメリカ大陸をヨーロッパで初めて発見したことが、彼らの開拓者としての資質と造船技術の素晴らしさを証明しています。





財産は滅んでも自身の功績は死後も残る

ヴァイキングの神話と伝説からは、彼らが大切にしてきたことは何か、その民族性を知ることができます。特筆すべきは、自身の行動に責を負う個としての強さと、人との繋がりを重んじる共同体としての在り方を、ヴァイキングは併せ持っていたことです。
彼らは決して悲観ではなく、危険や死を受け入れる覚悟を持っていました。そして、財産よりも自身が成しえた功績にこそ、死後まで残る価値を見出しました。また、神話に登場する神や巨人の多くが自然の象徴であることから、その恵みも脅威も崇め畏れる物として受け入れていた自然観を感じます。
ヴァイキングの首領や戦士達は、死後ヴァルハラ(主神オーディンの館)に迎え入れられることを願い、常に戦いの中に身を置いて英雄的に生きることを望みました。親族との繋がりを何よりも尊重し、親族が殺されることがあれば決闘か賠償金によって故人の名誉を守りました。





略奪遠征、ヴァイキングは海賊なのか

793年のイングランドのリンデスファーン修道院をはじめ、その後も多くのヴァイキング達が繰り返しヨーロッパ各地を襲いました。前触れなく海辺に姿を現す船団と武器を携えた戦士達、上陸しては教会や村を焼き金品を略奪するさまにヨーロッパ中が震撼しました。ヴァイキングの語源には色々な説がありますが、当時はこの略奪遠征のことを“ヴァイキングに出かける”と言っていたようです。
ヴァイキング自身が残した当時の史料は少なく、なぜ彼らがこの様な遠征を行ったのか、はっきりしていません。彼らの多くは農場を経営する農民だったので、略奪遠征はその農場経営を補充する行いだったのではないかと言われています。交易、探検、植民、傭兵、略奪、ヴァイキング達は新しい可能性を求めて海の外へ向かいました。
時代が進んでいくにつれて、ヴァイキングの略奪遠征は大規模な軍事遠征へと発展しました。ヴァイキングの故郷スカンジナヴィアには徐々に国家ができるようになります。約300年続いたヴァイキングの遠征は、各地の文化と混ざり合いヨーロッパの国々に影響を与えました。
ヴァイキングというとはじめに思い浮かぶ荒々しい海賊のイメージは、実際には彼らの一側面でしかありませんでした。ヴァイキングの他の側面、民族性や生活にも目を向けてみると、本来の彼らの姿が見えてくるように思います。